紅茶専門店 TEAS Liyn-an 紅茶通販の電話番号紅茶をFAXで買う
紅茶専門店 ティーズリンアン トップページ
紅茶の買い方・送料、支払い方法、他 紅茶通信販売 BBS リンアンの紅茶 お客様の声 紅茶専門店 ティーズリンアン サイトマップ
紅茶 通販 ネット販売 オンラインショップ




紅茶中国茶・抹茶 ギフト ケーキ
ジャム・クリーム ティーグッズ 業務用
送料無料お試し紅茶

新茶情報
お試しセット
紅茶ギフト
特選ギフト
フルチョイスギフト
紅茶中国茶・抹茶
インド紅茶
├  ダージリン
│ ├ ファーストフラッシュ
│ ├ セカンドフラッシュ
│ └ オータムナル
├ アッサム
├ ニルギリ
└ カングラ
ネパール
スリランカ(セイロン紅茶)
├ ウバ
├ ディンブラ
├ キャンディ
├ ヌワラエリア
├ ルフナ
├ サバラガムワ
└ ウダプッサラワ
中国紅茶
フレーバーティー
├ アールグレー
└ ライチ
烏龍茶
お抹茶
アウトレット
ティーバッグ
缶入り(2g×20袋)
袋入り(2g×20袋)
袋入り(2g×45袋)
全茶一覧

ケーキ・スコーン
ジャム・クリーム
ティーグッズ

ティーグッズ一般
ティーコゼ/ティーコジー
ポット カップ スプーン
製菓材料
製菓道具
業務用紅茶
  ├業務用紅茶・Lパック
  ├業務用紅茶・Kパック
  └ 業務店様 お問合せ窓口

お買い物について詳しくはこちらから
特定商取引に関する表示


紅茶のスクリーンセーバー
 
リンアンは独自にCOMODO社128bit
SSL認証を受けています




 

11月1日 は   紅茶の日

10/23 〜 11/1  紅茶をご注文いただいた方全員に、『 Russin Caravan 』 プレゼント
                                                                               (初回限定セットを除く)


日本人で最初に公式のティーパーティーに招かれたのは、ロシアに漂着しエカテリーナ2世に謁見し、ロシアの貴族社会でもてはやされていた大黒屋光太夫だろうと推定されています。

その当時、紅茶は中国から1000頭ものラクダで運ばれ、ロシアは紅茶の大消費国になっていました。
その隊商はロシアンキャラバンと呼ばれ、現在も紅茶のブレンド名として、その名を残しています。

2005年、リンアンは紅茶の日を記念して、大黒屋光太夫も飲んだだろうと思われるその紅茶を、リンアン流に解釈してブレンドしました。

10/23 〜11/1 の間に紅茶(初回限定お試しセットを除く)をご注文いただいた全ての方に、この記念ブレンド『Russian Caravan』20gをプレゼントします。

紅茶のご注文は、左のショッピングメニューからどうぞ。



 =  紅茶の日エッセイ =   ◆ 大黒屋光太夫は どんな紅茶を飲んだのか ◆

11月1日は、皆様おなじみの『 紅茶の日 』
どうして11月1日が紅茶の日と決められたのか。 それは日本紅茶協会のホームページから引用してみましょう。 http://www.tea-a.gr.jp/dic/day.html

>海難にあってロシアに漂着した日本人、伊勢の国(現在の三重県) の船主、大黒屋光太夫
>他2名は、ロシアに10年間滞在せざるを得 なかった。
> 帰国の許可を得るまでの辛苦の生活のなかで、ロシアの上流社会 に普及しつつあった
>お茶会に招かれる幸運に恵まれた。
> とりわけ1791年の11月には女帝エカテリーナ2世にも接見の栄に浴し、茶会にも招かれたと
>考えられている。
>そこから、大黒屋光太夫が日本人として初めて外国での正式の茶会で紅茶を飲んだ最初の人
>として、この日が定められた。
> この推定に基づいて、日本紅茶協会が1983年(昭和58年)に 11月1日を「紅茶の日」と定めた。

ということなんですね。 大黒屋光太夫は、宝暦元年(1751年) 伊勢 南若松村(現:鈴鹿市若松) に生まれ、後に大黒屋の養子となり、大黒屋をついで船頭となりま す。
大黒屋光太夫は、神昌丸で、天明2年(1782)12月13日伊勢白子浦を 出航し、遠州沖で嵐に遭い、漂流してしまいます。
半年後にアリューシャン列島アムチトカ島に流れ着いた光太夫は、 オホーツク海を超え、真冬のシベリアを横断し、イルクーツクで植 物学者のラックスマンと運命的な出会いをしました。 ラックスマンは何とか光太夫を日本に帰そうと尽力し、寛政3年(1791) 6月28日、当時の女帝エカテリーナ2世に謁見を許され、3か月後の 9月29日、とうとう帰国の許可が出るのです。

さて、11月に光太夫はエカテリーナ2世から茶会に招かれたのか? これを色々と調べているのですが、残念ながら紅茶関係の資料の他 に、光太夫がエカテリーナ2世から茶会に招かれたという資料は、 どこにも見当たりません。
では、光太夫はエカテリーナ2世から茶会に招かれなかったのか? というと、そういった資料は更に見つかりません。

実はエカテリーナ2世は無類のコーヒー好きだった? と言う話もあるのですが、それはいったん置いておいて、大黒屋光 太夫がロシアで紅茶を飲んでいないわけは有りませんから、光太夫 が飲んだであろう紅茶とは、いったいどんな紅茶だったのか?
ここで少し、ロシアのお茶の歴史を紐解いてみましょう。

アメリカ・ワシントンDCに、ロシア政府公認のロシア文化センター が有ります。 そのホームページ http://www.frccusa.org/に、RCC Collection と いうページがあり、ロシアのお茶についての若干の説明があります。

その説明のよれば、ロシアに公式にお茶が渡ったのは、1618年中国 の皇帝がロシアの皇帝アレクシスへ贈ったお茶が最初だそうです。 1618年以降、お茶はどんどんロシアに運ばれ.. というわけではなく、さらに歴史を紐解いてみると、1618年、中国 は明の時代、時の皇帝は万歴帝。 ロシアから派遣された使節イヴァンは、万歴帝の国書を持ち帰った ものの、万歴帝に謁見することは許されませんでした。 ロシアに渡った最初のお茶は、この時に持ち帰られたものでしょう。
この頃、ロシアはまだシベリア全土を掌握していません。 当然、ロシアから中国へのシベリアルートは整備されていません。 そんな事もあって、以後約40年、中国との行き来は途絶えます。

1656年、中国との交易を求めるロシアの使節団が北京を訪れたりし ているのですが、その間にシベリア進出を果たしたロシアと中国の 間では国境をめぐる紛争も勃発し、正式な国交は、1689年、清の康 煕帝との間で交わされたネルチンスク条約まで待つことになります。
この条約により、ロシアと中国間の正式な貿易が始まり、一年置き にロシアの官営キャラバン隊が北京を訪れるようになりました。 ロシアのお茶は、このキャラバン隊によって運ばれ、今でも『ロシ アンキャラバン』というブレンド名にその名を残しています。

このロシアンキャラバンによるお茶の輸送は、ロシア文化センター のサイトの記述によれば、エカテリーナ2世の時代の終りには、千 頭ものラクダによってお茶が運ばれ、ロシアは世界的なお茶の消費 国だったようです。
という事であれば、大黒屋光太夫がお茶を飲んでいないわけは無いはず です。
一方、この時代の極東情勢を見てみると、既にベーリング海の島々 にはロシア人が入植していましたが、ロシアは極東情勢を公表しな かったため、イギリス艦隊やフランス艦隊などが盛んにこの地域の 探検を始めていました。 まさに西欧列強の目が極東に向いていた時代だったのです。

そこに現れたのがアリューシャン列島に流れ着いた大黒屋光太夫。 エカテリーナ2世は光太夫から日本の情報を仕入れると共に、彼を 日本に帰して、日本との通商を求めることを企てます。

光太夫の謁見は6月28日、帰国の許可が出るのは3か月後なのですが、 既に6月の謁見の時には光太夫を帰す準備をさせていたと推定されて います。 コーヒー好きのエカテリーナ2世が光太夫をティーパーティーに招 いたかどうかは判りませんが、お茶の輸入量や時代背景、そして聡 明な光太夫がロシアの貴族社会の人気者になっていた事などを総合 して判断すれば、「誰の茶会にも招かれていない。」と考える方が 不自然でしょう。

大黒屋光太夫は帰国後、ヨーロッパにもその名を知られていた医師、 桂川甫周によって事情聴取を受け、その記録は『北槎聞略』として まとめられています。 そこには『茶』の文字は3か所に出てきます。 それは全て帰国の土産として貰ったお茶の話です。
それも光太夫が お茶好きだった証なのかもしれません。

さて、本題に戻って、その当時ロシアンキャラバンで運ばれていた お茶は、どんなお茶だったのでしょうか。 アメリカの Adagio Teas社のサイトのこのページの記事によれば、1770 年頃までは、主に団茶(輸送しやすいように固めて固形化したお茶) を買っていたようですが、1775年頃からは、現在のようなリーフティー (散茶)が主流になっていったようです。 http://www.teamuse.com/article_001202.html

この当時、中国から海路でイギリスへ運ばれていたお茶の多くは、 『 BOHEA 』と呼ばれるお茶でした。これば、「ボヒー」と発音され、 岩茶で有名な福建省・武夷山のお茶だということが、ほぼ確実視さ れています。 光太夫がロシアにいた頃にロシアンキャラバンで運ばれたお茶も、 この『 BOHEA 』か、またはそれに近いお茶だったのではないでしょ うか。
上で紹介したロシア文化センターのサイトでは、 「Today's Russian Caravan Tea has that smoky aroma. 」 (今日ロシアンキャラバンティーはスモーキーな香りを持っています。) と書かれています。 福建省・武夷山に産するスモーキーな香りのお茶。 これに相当するお茶はラプサンスーチョン(正山小種)しか有りませ ん。

では現在、ヨーロッパで売られているラプサンスーチョンと、ロシ アンキャラバンの違いは何か? それは香りの強さ。
現在販売されているロシアンキャラバンというブレンドは、ほとん どの紅茶会社が、ラプサンスーチョンとその他の紅茶のブレンドと なっています。 つまり、現在のラプサンスーチョンより、ほのかな香りのラプサン スーチョン。つまり、ラプサンスーチョンの中でも薫製香ではなく、 龍眼香のラプサンスーチョンを、大黒屋光太夫は飲んでいたのでは ないかと考えられます。

正露丸の香りにまで例えられる、現在のきつい薫製香のラプサンスー チョンは、ウイスキーの樽を焼いてまで焚き火の香りをつけるスモー キー好みのイギリス人の要求によって中国人が作り上げたものと言 われています。 その点、同じ蒸留酒でも、活性炭で濾過してでも、より純度の高い ウオッカを好むロシア人が、より優しい香りの龍眼香のラプサンスー チョンを求めたのは、当然のなりゆきだったのかもしれません。

6月28日 光太夫はエカテリーナ2世に謁見した後、何度も女王に呼 ばれ、日本の話を聞かれます。そして9月29日、とうとう帰国の許可 が出されました。 それ以後は一躍首都・ペテルブルグの有名人となり貴族社会で引っ 張りだこ。自宅で夕食を取ることは殆ど無かったそうです。
10月20日、エカテリーナ2世は光太夫を呼び、記念の嗅ぎ煙草入れ を自ら手渡します。 これが光太夫がエカテリーナ2世との最後の謁見となったそうです。

今年の 11月13日には、大黒屋光太夫 生誕の地 三重県鈴鹿市若松に、 『大黒屋光太夫記念館』がオープンします。 http://www.edu.city.suzuka.mie.jp/kodayu/ お近くの方は、是非、訪れてみてください。
ホームページ自体も光太夫の情報が一杯ですので、是非アクセスし てみてくださいね。

参考にしたサイト
ロシア文化センター(アメリカ・ワシントンDC)
http://www.frccusa.org/
Wikipedia シベリア
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B7%E3%83%99%E3%83%AA%E3%82%A2
地球旅行研究所 世界歴史データベース ネルチンスク条約 http://www.tabiken.com/history/doc/O/O117R100.HTM
出羽弘さんのページ ロシア人のシベリア征服
http://www001.upp.so-net.ne.jp/dewaruss/on_russia/siberia.htm
オールアバウトジャパン 中国茶 失われた紅茶のルーツ、ミッシングリンク 正山小種
http://allabout.co.jp/gourmet/chinesetea/closeup/CU20050910A/

推奨参考文献 山下恒夫著『大黒屋光太夫』帝政ロシア漂流の物語 岩波新書
ISBN4-00-430879-8 定価 740円(税別)  2004年2月20日刊
http://www.iwanami.co.jp/hensyu/sin/sin_kkn/kkn0402/sin_k163.html
http://homepage2.nifty.com/deracine/misc/reading/daikokuya.htm

この本は著名な漂流民研究家の山下恒夫氏がその研究を余すところ 無く注ぎ込んで書き上げた解説書です。 文体は小説風に近いですが、氏の収集した資料の写真なども多く、 参考文献も明らかにされ、光太夫の足跡をたどるには、現在最高の 書だと思います。 この本が、山下氏の遺稿となったことを残念に思います。
資料自体を調べたい方は、同じく山下恒夫氏の資料集が全4巻となっ て日本評論社から出ていますので、こちらがお薦めです。
第一巻https://sslserver.sbs-serv.net/nippyo/books/bookinfo.asp?No=2052
第2巻https://sslserver.sbs-serv.net/nippyo/books/bookinfo.asp?No=2102
第3巻https://sslserver.sbs-serv.net/nippyo/books/bookinfo.asp?No=2131
第4巻https://sslserver.sbs-serv.net/nippyo/books/bookinfo.asp?No=2146