緑茶は船で運んでいるうちに紅茶になる!?
紅茶の誕生の俗説で有名な話があります。このブログを読むような方はよくご存じでしょう。
「ヨーロッパの船が緑茶を運んでいるうちに、赤道直下の高温と湿気で醗酵して紅茶が出来た。その醗酵した黒いお茶はヨーロッパの水によく合ったので、ヨーロッパ人に好まれるようになった。」
この俗説はイギリスでは今でも信じている人がいるようですが、今ではほぼ完全に否定されています。
その理由は、「当時の緑茶は完全に殺青され、酸化酵素は破壊されているから発酵は起こらない。」というものです。
殆どのお茶の研究者がこれに賛同しています。
でも今回は、この説に異議を唱えてしまいましょう。
「当時、船で緑茶をヨーロッパに運ぶ途中に紅茶になってしまった可能性は十分にあり得る。」
言い切ってしまいます。
有り得ます。
そもそも、お茶の発酵とは、お酒などの発酵とは全く違い、お茶自身が持つ酸化酵素(主にポリフェノールオキシダーゼ)によってタンニン(カテキン類)が酸化重合され、紅茶の成分であるテアフラビン類、テアルビジン類に変わる反応です。
酸化酵素は葉の表面などに存在し、タンニンは細胞の中の液胞の中に存在します。
タンニンと酸化酵素が葉の中で別々に存在するために生葉の状態ではお茶の世界で発酵と呼んでいる化学反応は起こらない訳です。
それが揉捻などにより組織が壊されるとタンニンと酸化酵素が出合い、発酵と呼んでいる反応が始まります。
ここで酵素はその殆どがタンパク質の一種であり、加熱によって変性し、発酵させる能力が失効(失活)するため、緑茶は最初に蒸したり、釜炒りしたりすることにより酵素を失活させ、緑茶が作られます。
ヨーロッパにお茶が運ばれるようになった頃には、既に緑茶の製法は確立していたため、「緑茶をヨーロッパに運ぶ途中に紅茶になる事は無い。」というのが、現在の常識となっています。
ただ、この理論には時間的な観念が抜けているのです。
「酵素」とは、「生体で起こる化学反応に対して触媒として機能する分子」とされています。
酵素:wikipedia
では触媒とは何かといえば、「特定の化学反応の反応速度を速める物質で、自身は反応の前後で変化しないもの」なのです。
触媒:wikipedia
Wikipedia を安易に信じるのは用心したほうがいいのですが、さすがにこれほど基本的な定義は信じてもいいでしょう。
つまり、お茶の発酵と呼ばれている酸化重合反応は、ポリフェノールオキシダーゼ等の酸化酵素によって反応速度が早められているだけで、酸化酵素が無ければその反応は起きないと証明されているわけではないのです。
ポリフェノールオキシダーゼ等の酸化酵素が無くても、長時間かければ、お茶の世界で醗酵と呼ばれている化学反応は起きると考える方が自然であり、「触媒」の定義に合っているのです。
ただ、ポリフェノールオキシダーゼ等の酸化酵素が無い状態では、かなり特殊な条件下で、それも年単位の時間が必要なのかもしれません。
それが「酸化酵素が無ければお茶の発酵は起きない。」とされている理由でしょう。
「緑茶を長期保存していたら、特定の条件下でテアフラビン、テアルビジンの増加がみられた。」という試験結果は、たぶんどこかに有るでしょう。
でも、それを発表しても産業的には意味が有りませんから、研究発表の論文を書くだけ時間の無駄です。
だから試験結果が出ていても、それが世の中に出てくる可能性は非常に低く私達が目にする可能性はほとんどないのです。
東インド会社は、2年近くの年月をかけて、それも帆船の湿気が充満した船倉のなかに、十分とは言えない状態で梱包されたお茶を運んでいるわけです。
いくら酸化酵素が完全に失活していたとしても、酸化酵素が触媒の定義の範疇にある物質である限り、2年の間に「発酵」と呼ばれている化学反応が、「起こり得ない。」と言い切る方が無理が有るのです。
という事で、私は、「当時、船で緑茶をヨーロッパに運ぶ途中に紅茶になってしまった可能性は十分にあり得る。」と言い切ります。
ただし、これはあくまでも可能性の話であり、「当時の緑茶は完全に殺青されていたから発酵は起こらない。」という「理由が間違い」だというだけで、私は紅茶の誕生が「緑茶がヨーロッパに運ばれる途中に紅茶が誕生した。」とは思っていません。
というか、「緑茶がヨーロッパに運ばれる途中に紅茶が誕生した。」という説は、別の理由で否定できると思っているのです。
実は、ここからが今回の本題だったりします。
「緑茶がヨーロッパに運ばれる途中に紅茶になる可能性はある。」が、紅茶の誕生は、やっぱり、船の中では無かった。
茶の木の学名は、現在、多くの学者が使っているのは、「カメリア シネンシス:Camellia sinensis (L.) Kuntze 」で、もちろん紅茶も緑茶も同じチャノキから出来ますから、両方とも「カメリア シネンシス:Camellia sinensis (L.) Kuntze 」です。
ところが分類学の父と呼ばれるリンネ:Carl von Linné は、緑茶の木には「テア ビリディス:Thea viridis」、紅茶の木には「テア ボヘア:Thea bohea 」と名前を付けたのです。
もし、「緑茶を船で運んでいる間に紅茶になった」のであれば、元の植物は同じだと知っているはずです。
「緑茶を船で運んでいる間に紅茶になった」のであれば、紅茶と緑茶に別々の学名が付くはずが有りません。
つまり、当時ヨーロッパの人達は、「紅茶と緑茶は別の植物だ。」と思っていたのです。
「紅茶と緑茶は別の植物。」つまり、「紅茶は緑茶が運ぶ途中で変わったのではない。」と思っていたはずです。
「緑茶のチャノキと、紅茶のチャノキに別々の学名が有った。」この事実によって、「緑茶がヨーロッパに運ばれる途中に紅茶が誕生した。」という説は、ほぼ完全に否定されます。
それでも、「ほぼ」という推定でしかありません。
最初にヨーロッパに届いた紅茶は実は緑茶が船内で醗酵してしまった紅茶で、その船のキャプテンが「お茶を買って来いというだけの注文だったからこれを買ってきたんで、向こうではこういうお茶が人気だったんだ。」としらを切った可能性は否定できないからです。
とは言っても、東インド会社の積み荷の記録はしっかりしているところから考えて、その可能性は非常に低いでしょう。
という事で、現在信じられている理由は、ほぼ間違いです。
ですが、「緑茶を船で運んでいる間に紅茶になった」という俗説も、やっぱりほぼ間違いです。